手術から数日後、父は、緊急病棟から脳神経外科に移動した。緊急事態宣言が解けても、面会はできなかった。
父が何を認識してて、どういう感情をもっているのか、知りたかった。
父は第二次世界大戦の頃にこどもだったので、その当時の教育をうけている。
楠木正成の「七生報告」を、時代が変わっても心に刻んでいる。
七度生まれ変わっても国を守る。
正直、私の育った時代に受けた教育では、その価値観は分からなかった。今も分かってないと思う。ただ、自分の家族や先祖を支えた価値観を軽んじることはできない。私のルーツを尊重したいというだけだ。
もし、父に以前の価値判断が残っているなら、自分の身の回りのことさえ自分でできず、人の手を借りて生きる老人になってしまった自分に、社会にとっても、国にとっても、生きる意味も価値もないと思っているだろう。そういう価値観だ。
15年以上前、父が初めて脳梗塞を起こした時、麻痺のため歩けず、直後数日は車椅子を使っていた。父のいる大学病院にお見舞いに行くと、おそらく20代の女性看護師さんが父に、「これ、うごかさないでねー。わかるかなー?わからないのかなー?」と話しかけていた。私にとって、父に子供相手の口調で話す人を見たのは、それが初めてだった。
父にとって、孫と言っても大袈裟ではない歳の人に、幼稚園児に話すような口調で、話しかけられている。
私は、初めてのことで動揺し、病気をして体の機能が落ち、日常生活を自立して行動できなくなると、尊厳まで奪われるのかと思いそうになった。
私は最初、意を決してその場のリーダー格に見えた病院の職員に、相談した。
父は、ただでさえ今まで当たり前にできてたことが、突然できなくなったことに、ショックを覚えているだろう。子供に対して話すような口調ではなく、対等な大人に対しての口調で、話すようにしてくれないか、と伝えた。
できる限り、気力に悪い影響を与えたくない。弱っている時だからこそ、些細なことが気になった。
クレームをいれたのではない。より良い回復を目的に、父の性格を考慮して、相談をした。
後から、さらに立場が上に見える人が謝罪に来た。
でも、全く意味はなかった。
入院中、父に幼稚園児に対する言葉遣いで話す病院の職員は、一定量いた。
父がその病院の院長先生と高校の同級生で友達だったので、形式上、謝罪がきたのかもしれない。
その後、リハビリ病院に移っても、父が脳梗塞で入院するたびに医療関係者にも介護関係者にもその口調の人は一定量いた。認知症になれば、尚更その傾向は強まる。
私達家族が、父に対して払っていた敬意、当たり前のように守っていた尊厳を、病院の職員は、父の年齢と体の機能からくる客観的な価値の札を、下の句のカルタを叩く軽快さで、子気味よくパシーンと裏返す。
父が人生で成し遂げたこと、私たちにかけてくれた言葉、とびきりの勇気、最高のユーモア、などは関係ない。介護保険、年金。社会に守られてどうにか生きている生産性の無くなった人生。年齢や自立的に生きれるか、今現在の国に対する貢献度、で人を分類すれば、病院に属する人に上から目線で話しかけられることに、確かに矛盾はない。
脳、死、認知症、老いに対して全般の本を読むのに飽きた時は、気分転換に私は子ども用の本を読んだ。良書の子供用に書かれた本を、読むのが趣味だ。
自分では変えられないことに時間とエネルギーを使うのではなく、自分で変えられることにできるだけ多くの時間とエネルギーを注ぐ。その影響の輪を大きくしていくことで、未来を良いものに変えていくことができる。自分の行動を主体的に変えていく。
普段わかっているはずのことが、そのときの私には全くできていないかった。
今の私にできることで、良い結果をうむ可能性のあること。
家族の言葉を届けたい。社会や国ではなく、私たち家族が、父が生きていることを心から喜んでいる。勇気をもらっている。朝起きて病院から連絡が来ていないことを確認し、今日も父が無事に生きていると思う。あの時、父が今日も無事だと思うことは、どんなエンターテイメントより、瞬発的な幸せを味あわせてくれた。父の心臓はまだ動いていて私たち家族の心臓も動いている。私の体と心は、今までに見たことのないほどの気力に満ちた。
病院の許可を得て、家族の言葉と、父の好きな落語と父の好きな西部劇のサントラと、昭和の男心を歌った曲をCDにして渡した。そして、コロナ禍でありながら、父の手術を引き受け、看護を続けてくださる病院に感謝の手紙を書いた。お菓子は受け取ってもらえなかった。
私は、父の姉で、私の大好きなつたえおあばちゃんの編んでくれた赤いセーターを抱きしめ、「お父さんが来ても、『あんたはまだちっと早かばい。もうちょっと頑張らんろ』と言って蹴ったくって追い返してください。お願いします!!」と祈ってから寝るようになった。
神頼みは影響の輪に入っているのだろうか??




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