2021年5月4日火曜日

私にとってのコロナ②

 気丈にマイペースに笑い話を繰り広げる父を前に、これでお別れかもしれないからといって、さよならの言葉をいうことはできなかった。父に一言伝えられるなら、私は父の娘として生まれて幸せだと伝えたかった。ただ、それはさよならの言葉になる気がして、言えなかった。

伝えたいことはたくさんあるのに、父の冗談を聞いてアホヅラで笑うことしかできなかった。私は少ない知恵を絞って、左の視力がなくなり、麻痺が始まっているという父の左を狙って手を握ったり肩を撫でたりして、ただ勝手に父を触っていた。日本人に生まれたばっかりに、ハグさえできない、このやろーと勝手な愚痴を心の中で息まきながら。


別室に移り、姉たちと母でミーティングをした。

父は前回脳梗塞を起こしたときに、自分の人生に満足していると言ってくれた。

「しごつ(仕事)にも家族にも恵まれた、神様が見ててくださったち思うー」と言って無邪気に笑った。自分の父親が死を覚悟したときに、人生に満足していると知ることは、何よりも励みになった。自立心が強く、人の世話になってまで長生きする必要はないとは、折りに触れて何度も言っていた。もし、私たちが延命の手術をお願いし、父が寝たきりで長生きすることになったら、本人の意に沿わない生き方を、私たちが強いるということになる。父の生き方を尊重するなら、私たちは、その手術をお願いすべきではないことはわかっていた。でも、手術をお願いする事に決めた。万が一の可能性でも父が生きててくれるなら、私たちはそれが良かった。医師は何度も父の年齢を口にしていたし、病床も医療のマンパワーも足りないときに、84歳の延命手術をお願いするなんて分別の足りない行為でしかない。父の人生を考えても、社会的な状況を考えても、手術をお願いすることは私たちのエゴでしかなかった。私たちは、理性で物事を決断できるほど、まともな人間ではなかった。


そこから5時間ぐらいの手術を終え、父が出てきた。手術は成功した。

看護士さんが、コロナのことがあるので家族には当分会えないというと、父はしっかりうなづいていた。どうやら話すことが難しい様子の父は、チューブの入った口で「アウアウ」と発していた。


父は、第二次世界大戦の終戦の頃、小学生だった。中学に「兵隊さん」がいたことも、それなりの体罰を受けて育ったことも聞いている。私は姉と10歳以上歳が離れているので、周りのお父さんと比べてもちょっと古い価値観の、厳しいところのある父だった。辛いことや、泣いてしまうことがあっても、話を聞いてくれることもなかった。こちらが辛い時こそ、「エイエイオー!」と大声を張り上げていた。私に言わせれば、エイエイオーの「押し売り」がきつい時もあった。嬉しい時もあった。孫が学校に行くときにも必ず見送って「エイエイオー」と言っていた。いつしか、その場を通る小学生たちが、父に向かって大声でエイエイオーというようになった。孫が高校生になると、縁側から、はち切れそうな笑顔で右手を高く上げて、無言のエイエイオーを見せていた。孫たちは、無言で右手の握り拳を高く上げて、「行ってきます」の儀式をしていた。父はチューブの入った口で、エイエイオーと言ったのだと思う。父に生きる意思があるのだと思った。


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