コロナで面会はできなかったので、医師からの電話で父の様子を聞いた。
左側が完全麻痺、話しかけると答えるが、生年月日ぐらいまでしか言えない、目は見えているかわからない、食べ物は認識できない。薬と栄養を鼻からのチューブで入れている。左が動かないので座ってられない。
いつ何が起こってもおかしくない、とのこと。
母も血糖値のことで病院に通っており、私は付添をした。
母は父の自営業を手伝いながら、九州男児を九州女として支えあげた
ドスの効いた女性だが、流石にその時は、から元気が激しく
小さな用事を忘れたり、込み入った話を理解できなくなった。
単純に弱っていたのだと思う。
大学病院には様々な人がいる。
私の意識は高齢者ばかりに向いてしまった。
車椅子の人を見て、座ってられるんだなと思い、ホワイトボードでヘルパーさんと筆談する人を見て、意思疎通がはかれるのだと思った。
杖を使って歩く人、ヘルパーさんに、大声で繰り返し説明を受けながら次の行程を理解する人。羨ましかった。父に会いたいと思った。
それで〜も〜い〜い
それで〜もいいとおもおった〜ルララララ
戻れないと知ってても繋がっていた〜くて〜
叶いもしな〜い この〜おもい〜
私の頭の中をそんなフレーズがしめる。
伸びやかな高音で歌う パワフルな女性が浮かんでくる
全ての命が奇跡だと思った。
生きていることに感謝できないなんてバカだと思った。
父は急性期の病院にいて、いつ何が起こってもおかしくない
用があって姉に電話をしたりすると、姉が息を呑むのがわかった。
私たち家族はあの時、どんな知らせを運んでくるのかわからない電話が、
怖くて仕方なかった。
結婚前にいくつか失恋をしたことがある
大切な人とおそらく一生会えなくなる。
あの経験はこの練習だったんじゃないかと思った。
歳をとって初めて、価値に気づける経験があるんだなと思えた。
辛いと思ったことだって乗り越えてきた。
何があっても乗り越えられるはずだと思った。
私は夜寝た後、気がついたときには自分がいつの間にか起きて
声を上げて泣いていることに気付いたりした。
私たちの情緒は笑えるほどズタボロだった

0 件のコメント:
コメントを投稿