2021年5月11日火曜日

私のとってのコロナ③

 


コロナで面会はできなかったので、医師からの電話で父の様子を聞いた。

左側が完全麻痺、話しかけると答えるが、生年月日ぐらいまでしか言えない、目は見えているかわからない、食べ物は認識できない。薬と栄養を鼻からのチューブで入れている。左が動かないので座ってられない。

いつ何が起こってもおかしくない、とのこと。


母も血糖値のことで病院に通っており、私は付添をした。

母は父の自営業を手伝いながら、九州男児を九州女として支えあげた

ドスの効いた女性だが、流石にその時は、から元気が激しく

小さな用事を忘れたり、込み入った話を理解できなくなった。

単純に弱っていたのだと思う。


大学病院には様々な人がいる。

私の意識は高齢者ばかりに向いてしまった。

車椅子の人を見て、座ってられるんだなと思い、ホワイトボードでヘルパーさんと筆談する人を見て、意思疎通がはかれるのだと思った。

杖を使って歩く人、ヘルパーさんに、大声で繰り返し説明を受けながら次の行程を理解する人。羨ましかった。父に会いたいと思った。


それで〜も〜い〜い

それで〜もいいとおもおった〜ルララララ

戻れないと知ってても繋がっていた〜くて〜

叶いもしな〜い この〜おもい〜


私の頭の中をそんなフレーズがしめる。

伸びやかな高音で歌う パワフルな女性が浮かんでくる


全ての命が奇跡だと思った。

生きていることに感謝できないなんてバカだと思った。


父は急性期の病院にいて、いつ何が起こってもおかしくない

用があって姉に電話をしたりすると、姉が息を呑むのがわかった。

私たち家族はあの時、どんな知らせを運んでくるのかわからない電話が、

怖くて仕方なかった。


結婚前にいくつか失恋をしたことがある

大切な人とおそらく一生会えなくなる。

あの経験はこの練習だったんじゃないかと思った。

歳をとって初めて、価値に気づける経験があるんだなと思えた。

辛いと思ったことだって乗り越えてきた。

何があっても乗り越えられるはずだと思った。


私は夜寝た後、気がついたときには自分がいつの間にか起きて

声を上げて泣いていることに気付いたりした。

私たちの情緒は笑えるほどズタボロだった


0 件のコメント:

コメントを投稿